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清泰院 (前田光高正室) : ウィキペディア日本語版
清泰院 (前田光高正室)[せいたいいん]
清泰院(せいたいいん、寛永4年5月23日1627年7月6日)〔「幕府祚胤伝」より。「水戸様系譜」では11月27日生まれとしている。〕 - 明暦2年9月23日1656年11月9日))は、江戸時代初期の女性。水戸藩徳川頼房の四女。加賀藩前田光高正室。実名は大姫(おおひめ)。
江戸にて生まれる。母は側室野沢氏。初名は糸姫、亀姫、阿智姫とも。寛永9年(1632年)12月13日徳川家光の養女となり大姫と名を改める。翌寛永10年(1633年)12月5日、前田光高に嫁した。
寛永20年(1643年)長男・綱紀を出産する。この嫡男誕生の報せを聞いた夫・光高は大いに喜び、直後の参勤で金沢から江戸までの120里(約480km)をわずか7日で歩いた(通常は12日ほどかかる)。
正保2年(1645年)4月5日、光高が急死。落飾して清泰院と号する。このとき懐妊中であり、同年次男・万菊丸を出産したが、万菊丸は慶安2年(1649年8月13日に5歳で夭折した。
慶安4年(1651年)家光が没した際の遺物拝領では、実子の千代姫と同じく2万両と茶壺一つを賜っており〔「徳川実紀」厳有院 慶安4年6月18日条〕、養女の中でも重んじられていたと思われる。
明暦2年(1656年)に死去した。享年30。伝通院に葬られた。
==その他==
水戸黄門』第36部に登場した「明芳院」は清泰院にあたる。ただし実際は光圀の藩主就任前に早世しているため、当然ながら光圀の隠居時代には存在しない。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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